
理由なき都構想〜法定協ウォッチャーが見た議論の実態|フリージャーナリスト・幸田泉さん【前編】
大阪都構想や維新政治をめぐり、検証し、あるいは批判するさまざまな識者や市民の皆さんへ、立憲民主党大阪府連がインタビュー。
初回は、在阪のフリージャーナリストで元全国紙記者の幸田泉さんに、尾辻かな子衆議院議員がお話を伺いました。
幸田さんは大阪都構想をめぐる「大都市制度(特別区設置)協議会」(法定協)を取材し続け、その模様をブログ「フリージャーナリスト幸田泉の取材日記」 でレポートされています。
※このインタビューは2018年4月7日(土)、立憲民主党大阪府連にて行いました。
法定協をウォッチし続けて
尾辻かな子衆院議員(以下、尾辻):
都構想の取材は、いつから始められたのですか?
幸田泉さん(以下、幸田):
新聞社を2014年3月で退職後、テーマのひとつとして追いかけ始めました。
前回の法定協は、野党議員を追い出すなど非常に荒っぽく、議論が尽くされていませんでした。今回は、法定協での議論の中身を発信することで、検証したり反対したりしている人たちの活動に活かせるんじゃないか、と考えました。
誰かが中に入って「今日はこんなことがあった」と伝えてくれる人がいたらいいよねという話があり、もともと傍聴しようと思っていたので、どうせ毎回行くのだからということで、発信の手段としてブログを立ち上げました。毎回の議論の中身を更新しています。( ブログ「フリージャーナリスト幸田泉の取材日記」 )
尾辻:
前回の時は記者として関わっていたんですか?
幸田:
実はそれがあまり関わっていませんでした。私が大阪の社会部にいた時は、橋下徹さんが府知事で、それこそ「伊丹空港をなくす」とか、いろんなことを言い始めていました。「えらいこっちゃ」と編集局はドタバタしていましたが、担当が異なり、直接にウォッチしたり細かい分析をしたりはしていませんでした。
フリーになった後、住民投票が15年5月にありました。大阪市民なので、投票をどうするか考えないといけない、と思っていました。そこから集会に行ったり出版されてる本を読んだりしているうちに、これは大変なことになっているんだなということが分かりました。
それでも住民投票では否決になったのでやれやれと思っていたんですが、結局、復活・継続しちゃったじゃないですか。それならずっとウォッチしようと取材を続けてきました。
尾辻:
立憲民主党は昨年10月に立ち上がりました。永田町の数合わせではなく、草の根の政治を実現しよう、トップダウンではなボトムアップの政治を、ということで作られた政党です。
大阪府連でも、ウェブサイトにお寄せいただいた市民の皆さんの声や、こちらから出向いて伺った声を積極的に載せていきます。
特に今回は都構想で特別サイトで作ることにしました。「あなたにとって都構想とは?」という話をさまざまな方に聞いて、アップしていきます。実は今日は、インタビューの第1回です。私も初めての試みです。
政策批判しない在阪マスコミ
尾辻:
幸田さんのジャーナリストとしての目から見て、在阪のマスコミについて感じることはありますか?
幸田:
在阪のマスコミは政策批判をしない、東京よりもその力が弱いと感じます。
兵庫県の神戸新聞、京都府の京都新聞のような、大きな部数を有する地元紙が、残念ながら大阪にはありません。
兵庫県で兵庫都構想なるものが出てきて神戸市を廃止・解体する、などと言ったら神戸市民は絶対に反対するでしょう。京都都構想が出てきて東京みたいになりますよとなったら相手にされない。「なんで東京に倣わなあきませんの」と。そういう意味で、大阪のメディアには郷土愛や地元への誇りが希薄だと感じます。
「住民にまだまだ説明不足である」という批判はありましたが、大阪市を廃止して特別区にするという「都構想」の本質について、正面から反対との論陣を張ったメディアは住民投票の時にはありませんでした。
尾辻:
両論併記が基本、という感じでしょうか。
幸田:
住民投票は選挙みたいなもんやから両論併記をせざるを得ない、という発想になってしまうんです。中身を見て、市民のためにならないという姿勢で反対しても良かったはずなんですが。

幸田さん「当初のマスコミの空気は『できるわけないやん』でした」
橋下府政は「引っ掻き回しすぎ」
尾辻:
幸田さんは、いつからこの都構想に疑問を感じ始めましたか?
幸田:
橋下さんが知事になって、あまりにもいっぺんに、いろんなことやろうとしていた。空港の廃止だとか水道事業の統合だとか、大きなことをどんどんやり始めましたよね。引っ掻き回しすぎ、政治や行政ってそういうものではないという疑念を漠然と持っていました。
大阪都構想も当初は違う案でしたよね。最初は大阪市、堺市、その他衛星都市も含めて、もっと広い範囲で特別区にするというものでした。
あの頃のマスコミの空気は「できるわけないやん」「どんどん大風呂敷を広げてるな」という捉え方でした。法律も作らなければならないし、都構想が住民投票まで行くとは全然思っていなかった。
しかし12年8月、「大都市法(大都市地域における特別区の設置に関する法律 )」という法律が成立してしまった。この頃から「あれ、国まで動かして前に進んでるやん」と緊張が走り始めました。
それでも、議会では当時公明党も反対していました。橋下さんが出直し市長選(14年3月23日投開票)をやっても議会の構成が変わらない限り絶対に実現しないだろう。ほとんどのマスコミはそう思っていました。
14年10月、市会と府議会で特別区設置協定書が否決され、これでやっと終わったという感じでした。
尾辻:
14年12月、公明党が突然、住民投票に賛成に回りました。
幸田:
住民投票では否決され、大阪市民の意志でギリギリ止まった。
ところがそれをまた復活させると言う。まさにトップダウンの政治ですよね。しかも彼らは民主主義の手続きに則っていると言ってしまうんですね。

2015年11月行われたダブル選。※画像は大阪市Webサイトより。
「ダブル選勝利がお墨付き」は無理筋
尾辻:
法律と民主主義に則っている、ダブル選挙(15年11月22日投開票)で勝ったから民意を得たんだという言い方をしています。
「オストロゴルスキーのパラドックス」という言葉があります。選挙で代表者を選ぶことと個々の政策を直接選ぶことはイコールにならないことを指しています。
住民投票は1テーマ1テーマでイエスノーを選択する、政治家を選ぶこととは違う結果が出るという話なんですね。だから本当は「ダブル選に勝って都構想に民意を得た」とは本当は言えないはずなんです。
幸田:
あのダブル選挙の時、ちょうど住民投票が終わった後なので、維新には敗北感がありました。市長の選挙公報やポスターには再チャレンジしますとは書いていないんです。
都構想を前面に出すのか引っ込めるのか、結構様子見をしていました。そういう態度から見て、吉村市長の取った59万票で都構想再チャレンジが支持された、お墨付きを得たというのは、かなり無理筋なんです。
(続く)
幸田泉プロフィール:
1965年生まれ。元全国紙記者。2014年3月に退職後は、大阪を拠点にフリージャーナリストとして活動中。2015年9月、違法な部数水増しが常態化する新聞販売現場の暗部を暴いたノンフィクションノベル『小説 新聞社販売局』(講談社)を上梓。インターネットニュース「 ニュースソクラ 」コラムニスト。