
それは大阪から始まった〜住民投票がもたらした政治の荒廃|帝塚山学院大教授・薬師院仁志さん【後編】
都構想や維新政治について批判的に検証する帝塚山学院大学教授・薬師院仁志さんに、尾辻かな子衆議院議員がインタビュー、その後編です。
※前篇はこちら
※このインタビューは、2018年6月17日に行いました。
「議員定数削減=改革」なのか?
尾辻かな子衆議院議員(以下、尾辻):
「決められる政治」「司令塔の一本化」という文脈で言うと、大阪府議会は定数削減が進んでいます。
私が大阪府議の時期、府議会の定数は112人でしたが現在は88人です。選び方も、1人区を増やしたため多くの死に票が出ます。
自治体の議員を選ぶ選挙では、1人区は極力避けるべきで、多様な声を反映できるある程度の議員数が必要だと思います。
薬師院仁志さん(以下、薬師院):
定数を減らしたことで、柏原市と藤井寺市で選出できる府議はわずか1人です。2つの市の代表を、府議会に1人しか送り出せない事態です。
「身を切る改革」と称して定数削減が無条件に評価される傾向がありますが、多様な声を拾うためには本当はなるべく多くの議員が必要です。その限度をどこに持っていくかの議論が不在なのです。

尾辻議員「民主主義=多数決と誤解している人も多いと思います」
尾辻:
国会でも「私は最高責任者」と発言する政治家はいます。しかし選挙に勝ったから、リーダーになったからと言って、全権委任したわけではない。憲法に基づいた縛りがあり、その中で権力行使し合意形成するというのが当たり前の政治の姿ではないでしょうか。
薬師院:
民主主義の定義は全員による統治、できる限り議論を通じた合意形成を目指すのです。多数決だけで決めるのであれば、議会など不要になってしまいます。
尾辻:
民主主義は多数決だと誤解している人も多いと思います。「一人ひとりに決定権がある」ということが民主主義であって、ひとつの結論を得なければならない時、手段として多数決がある。民主主義=多数決ではない、ということですね。
薬師院:
フランス議会では、多数決で決まっても憲法院が違憲審査で却下するということは何度もあります。
例えば数年前、自動車の排気ガス規制のために、古い車への税金を上げる一方、新しい低公害車に買い換えると減税する、日本で言うエコカー減税ですが、これが議会を通ったんですが、憲法院は却下しました。古い車に乗っている人は貧しい人で、そんな人の税金を高くするのは違憲、非民主的だというわけです。
多数決に不満があれば、少数派は憲法院に提訴もできます。
日本は地方議会でも国会でも議員定数が各国に比べ少ないのですが、自分たちの声を聞いてくれ、ではなく数を減らせ、となる。政治がサービス業のような、有権者は顧客で議員はサービス提供者、そういう見方が強まっているように感じます。

薬師院さん「人気取りに徹する。政治家は悪い意味で
ホンネをむき出しにするようになりました。
「悔しかったら議員になれ」─「大阪論法」を国会に輸出
尾辻:
地方自治を考えるとさまざまな論点がありますが、維新政治がもたらしたものについて、改めて薬師院さんはどう受け止めていますか?
薬師院:
政治家、政治に携わる者が、悪い意味でホンネがむき出しになりました。
政治家は当然、選挙に当選しなければならない。政党は自党の議席数を増やさなければ自分たちの主張が通らない。しかしこれまでの政治家は、多数は手段であるという認識でした。
そうした根本を捨て去って、自分たちが発言力を持つことを露骨に追求するようになった。票を取る、人気を取ることに完全に徹したわけです。
「一言で言うと」「要するに」「どんな得があるのか?」「コストパフォーマンスは?」等々、丁寧な説明よりもわかりやすさ、キャッチーさを重視するようになりました。今の首相もそれを真似していると思います。
野党が嫌われるのは、理屈を言うからじゃないでしょうか。
尾辻:
感情の政治をすれば、誰それは嘘つきだという方が簡単です。それをやってしまうとダメだと私たちは思っているんですが…。
ホンネを言うことがあたかも正直であるというような、トランプ大統領もそうですが、その傾向が強まっているのかなと感じます。
国会での話ですが、維新の議員たちが批判されると「悔しかったら議員になれ」とか「力を付けて落とせばいい」とか、いわゆる「大阪論法」ですね。大阪でよく見られるこの主張を、国会でも言うんです。
有権者に耳も傾けず、かつ権力を持った立場で真っ向から反論するなどという態度に、ショックを受ける方は多いです。
かつて、私学助成の大幅削減を打ち出した当時の橋下府知事が、撤回を求めた高校生にまで「嫌ならあなたが政治家になって国を変えるしかない」などと言い放ちました。しかしこんな態度は、政治家としてまともではありません。
真に公共の価値を担える政党を
薬師院:
世の中をよりよくするためには、みんなで協力しなければならないし、それが自分の幸せにつながるんだと。そのことがなかなか伝わらないと感じます。
働いている人も労働時間がすごく長い。立場も不安定。そんな中で公共のことを考える、政治参加に時間を割くのはとても難しい。
民主主義にかける労力やコストを惜しまざるを得ない。その結果として「難しい話を聞いている余裕ないから、簡単に言うて」という状況なのだと思います。
尾辻:
「前編」で話し合った「話題性」と「単純化」の維新政治がどうして市民の支持を集めるのか、という問いの答えにたどりついた気がします。それは日本の民主主義が克服すべき課題が明らかになったという意味でもあります。
立憲民主党は昨年10月にできたばかりですが、「立憲民主党はあなたです」ということを言い続けています。
「あなたが立憲民主党を通じて、何をしたいか考えてほしい」という趣旨です。あなたはお客さんではなく主権者であると、私たちはその声を聞くあるいは一緒に動く、ということを訴えています。
薬師院さんが立憲民主党に期待することは何かありますか?
薬師院:
学者的な意見を言うと、日本には「まともな左派」が生まれませんでした。
左派とは反リベラルです。保守とは市民革命以来の伝統に立つリベラルです。つまり絶対王政という国家の統制、上からの縛りを取っ払う「自由主義」。リベラルとは保守であって、対立概念ではありません。
一方で左派は「平等主義」、国家は国民の平等を保障する役割も担うべきという主張です。公共とは国民の平等を実現するために行動するのだ、と。
働き方改革するのであれば、国家が責任を持って労働者の権利を守る、労働基準監督署の職員が不足しているなら増員等の措置をしっかり取る、ということです。
かつての自民党はこの平等主義に立っていましたが、今では格差が拡大しています。「官から民へ」という言い方も、公共の仕事を放棄する意味を持ちます。日本では左派と言われる政党までがこの考え方に沿うことがあります。
尾辻:
日本では自由主義・リベラル=左、という捉え方がされますね。イデオロギー問題も絡んで、議論が混乱しています。
薬師院:
もちろん何もかもを公共が、国家が担えと思いませんが、やはり日本では「まともな左派」が育っていないと考えています。
立憲民主党にはイデオロギー政党ではなく、リベラルと共存させながら、本当の意味での公共の価値を担える政党を目指してほしいと思います。
(了)
薬師院仁志プロフィール:
帝塚山学院大教授。京都大大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京大助手、帝塚山学院大専任講師、同助教授を経て現職。主な専攻分野は社会学理論、現代社会論、教育社会学。著書に『民主主義という錯覚』(PHP研究所)など多数。近著に『ポピュリズム-世界を覆い尽くす「魔物」の正体』(新潮社)。