
都構想「迷走」タイムライン(2012〜15年)
2012年8月
国政進出を匂わせて立法迫る
橋下徹大阪市長(当時)は、地域政党であった大阪維新の会の国政進出を匂わせ、都構想(=政令市の廃止、特別区への分割)への根拠法制定を迫った。
「法案が国会で可決されれば国政進出の根拠はない」と発言していたにも関わらず、議員立法で「特別区設置法」ができると、いとも簡単に前言を翻して国政進出。
2013年8〜9月
「都構想」の効果はたった1億円
松井一郎大阪府知事は当初、府市再編効果額を「年間4,000億円」と主張。後に「最大で967億円」と減額修正。さらにそこには、都構想とは関係のない市営地下鉄民営化効果額なども含まれていた。
これを除くと実質効果額はたったの「1億円」。
一方、再編経費は庁舎建設費に約600億円以上、ランニングコストは毎年約20億円に上る。
2014年3月
ムダな出直し選挙に5億円
法定協議会に突然出された「区割り案の絞り込み」要請に維新以外の全会派が反対。
これに腹を立てた橋下市長(当時)は、市民の税金約5億3,000万円をかけて、出直し市長選挙を強行。
投票率は23.59%と過去最低。次点は他の候補ではなく無効票。大義なき出直し選挙であったことを示した。
2014年7月
「反対」委員を強制排除
維新は「出直し市長選挙で民意が出た」として、法定協議会から都構想に反対する委員を排除し、維新委員に差し替えるという暴挙に出た。
府市両議会野党4会派が法定協の正常化のために求めた臨時議会の招集も拒否。
維新議員と両首長のみのわずか11人で、特別区設置協定書案は策定された。
2014年10月
「否決される」と逆恨み
維新の会だけで策定した協定書案は、当然のことながら府市両議会が否決。すると橋下市長(当時)は、「公明党にやられたまま人生を終わらせることはできない。やられたらやり返す」と逆恨み。
次期衆院選で、公明党現職がいる選挙への橋下・松井両氏の出馬に言及するも、結局、両者は出馬せず。相変わらずの「劇場型政治」を繰り広げた。
2015年3月
政局もてあそび「住民投票」へ
裏でどんな政治の力学が働いたのか。都構想に反対だった公明党が一転して、住民投票を容認。
「法定協の中身には無理があり、反対の見解は変わっていない。住民投票という住民の権利を尊重することだけ、今回は決めた」と語る公明党議員は苦渋の表情を浮かべた。
「説明責任」は果たされないまま「住民投票」実施へ。